Avendia19
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概要

『Alice's Adventures in Wonderland』 のシャレイア語訳の文法的な解説です。 それぞれの文に対し、 直訳に近い日本語訳とグロスを付け、 さらに簡単な解説もしてあります。

文章全体はこちらで読むことができます。

目次

第 1 段落

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e ʻalis の部分は、 本来なら ovel ebam の直後に置かれるはずだが、 ʻalis はこの物語の主人公なので、 一番最初に主題として強調するために文頭に倒置されている。 三人称視点の物語では、 主人公を明示するためにこのように 1 文目の文頭に置かれることが多い。

この文の主節の動詞である pôzac は現在時制になっているが、 これは 「叙述の現在時制」 と呼ばれ、 物語に特有の時制の使い方である。 シャレイア語で物語を描写するときは、 過去に起こった話として記述するというより、 物語の進行と並行して記述していくというイメージがあるので、 現在時制を使うのである。

bam は副詞として使うと形容詞か副詞しか修飾できないので、 今回のように動詞を修飾させたい場合は、 vel を介して ovel ebam という形で修飾する。 この vel に特に意味はなく、 形容詞と副詞のみを修飾する副詞を動詞に修飾させたいときに間に入れる、 いわば機能語のようなものである。

dozat lesas の部分は doz が助動詞的用法になっていて、 もともとは dozat e kin lesas という形で、 e kin の部分が省略されている。

1-2

tal は 「~回」 を表す単語だが、 単位名詞ではないので後ろに直接数詞を置くことはできない。 したがって、 tal atis などとするのは間違いで、 tal al'atis とする必要がある。

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「絵も会話もない」 において 「絵」 と 「会話」 を繋ぐ接続詞には o を使う。 英語では or が使われているので、 それに引きづられて é を使わないように注意。

第 2 段落

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全体の文構造としては、 主節の動詞が soxas であり、 そこに a ces, qi soxot, e'n 以下という 3 つの助詞句が係っていて、 2 つ目の qi soxot と 3 つ目の e'n 以下の間に、 タデックロットで囲まれた長い節が挿入されている。 タデックロットは、 日本語や英語のダッシュに相当する記号で、 このような長めの挿入句の前後に用いられる記号である。

qi soxot は直訳すれば 「理性を使って」 だが、 これは、 口に出したり紙に文字を書いたりなどをせずに頭の中で行うことを表す慣用表現である。

挿入部の直後にある kin 節内は間接疑問表現であり、 kavat á dulat の部分が疑問表現を作っている。 この dulatdukavat の代わりで、 kavat á dulat で 「(価値が) あるのかないのか」 という肯定か否定かの選択疑問表現になっている。 á dulos は間接諾否疑問の定型表現である。

文末にある metlissod の代わりをしていて、 同じ単語が繰り返されるのを防いでいる。

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te cal における te は助詞として使われているが、 後続する名詞である cal がコトを表すものなので、 意味的には接続詞になっている。 したがって、 「cal が起こったのと同じ時間に」 という意味になる。

cife vilis における cife も同様で、 本来は接続詞としての用法しかないが、 後続する名詞が vilis というコト名詞なので、 接続詞の意味で助詞として用いられている。 この cife vilis という表現は、 cife vilisac a cit という接続詞節における vilisac a cit の部分が、 動辞の名詞用法によって vilis だけに置き換えられた形であると解釈できる。

第 3 段落

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2 段落 1 文目と同様に、 タデックロットで囲まれた節が途中に挿入されている。 kin 節内の動詞である dusalat には、 直後にある e adùk ebam と挿入部の後の a kin 以下という 2 つの助詞句が係っている。

文の最後にある kin 節の動詞である tufosas は、 「呟く」 という意味であり、 e 句によって呟いた内容が明示されるのが普通である。 しかし、 この文では a hapet acik という 1 つの助詞句しか係っておらず、 e 句は存在しない。 このような場合、 後続する文全体が e 句として置かれているものとして解釈されることがあり、 今回はこのパターンである。

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kebatas に係る kin 節句では、 vomes licos という反復表現が用いられている。 ここを反復表現にしなくとも 「見たことがない」 という意味にはなるが、 あえて反復表現にすることで、 「見ないということを何度も繰り返した」 という意味を出し、 一度も見たことがないというニュアンスを強めている。

sot は通常 「今」 の意味だが、 より正確にはその節で現在時制が表す時間を意味するので、 この場合は 「気づいた」 が行われた時間を指すことになる。 日本語では 「そのとき」 とするのが適切だろう。

hapet adak には、 kômat a e sevlatvîticas a e sokiq という 2 つの限定節が修飾していることに注意。

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第 4 段落

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