#SFK.動詞の助動詞的用法
#SLR.概要
一部の動詞は、 その直後に別の節が直接置かれることがある。 結果的に動詞が 2 個連続することになるが、 このとき 1 つ目の動詞が 2 つ目の動詞の意味を補足する。 そのため、 この形は 「助動詞的用法 (auxiliary use)」 と呼ばれる。 助動詞的用法をとる動詞は一部に限られており、 全ての動詞が助動詞的用法をとるわけではない。
助動詞的用法には 2 つのパターンがあるため、 それぞれについて続くサブセクションで詳しく述べる。
#SLN.格組が e 格のみの動詞
格組が e 格のみから成っておりその e 格がコトをとるような動詞の一部は助動詞的用法をもつ。 そのような動詞が以下の条件を全て満たす形で使われているとする。
- e 句に kin 節が置かれている
- e 句以外の修飾語句が存在しない
このとき、 その動詞に係っている e 句のうちの e と kin が取り除かれることがある。 すると、 その動詞の直後に kin 節の中身が直接置かれることになるため、 動詞が 2 つ連続する形ができ、 助動詞的用法の形となる。
- dozat e kin lanis a loc te tacál ca kosax.
- あなたは明日学校へ行くことをしなければならない。
- dozat lanis a loc te tacál ca kosax.
- あなたは明日学校へ行かなければならない。
1 の dozat が助動詞的用法をとったのが 2 である。 1 において dozat に係っている e 句のうちの e kin の部分が、 2 では消えていることに着目せよ。
#SLM.格組が a 格と e 格のみの動詞
格組が a 格と e 格のみから成っており e 格がコトをとるような動詞の一部は助動詞的用法をもつ。 そのような動詞が以下の条件を全て満たす形で使われているとする。
- e 句に kin 節が置かれている
- a 句に置かれている名詞が e 句の kin 節でも使われており主題になっている
- a 句と e 句以外の修飾語句が存在しない
このとき、 その動詞に係っている a 句が消され、 さらにその動詞に係っている e 句のうちの e と kin を消されることがある。 すると、 その動詞の直後に kin 節の中身が直接置かれることになるため、 動詞が 2 つ連続する形ができ、 助動詞的用法の形となる。
- kilat a tel e kin ricamos ovit a tel.
- 私は速く泳ぐことができる。
- kilat ricamos ovit a tel.
- 私は速く泳ぐことができる。
1 の kilat が助動詞的用法をとったのが 2 である。 1 において kilat に係っている a 句である a tel と、 同じく kilat に係っている e 句のうちの e kin の部分が、 2 では消えていることに着目せよ。
#SLY.余分な修飾語がある場合
助動詞的用法は、 kin 節句の助詞と kin が省略された結果として説明できる。 したがって、 連続した 2 つの動詞の後に置かれる修飾語句は 2 つ目の動詞に係ることになる。 しかししばしば、 2 つの動詞の後に置かれる一部の修飾語句が、 意味上では 1 つ目の動詞に係ることがある。 これは次のように説明することができる。
通常、 動詞が助動詞的用法をとる場合、 その動詞に基本助詞句以外の修飾語句が係っていることはない。 しかし、 基本助詞句以外の修飾語句が存在する場合でも、 その余分な修飾語句が kin 節内の動詞を修飾していたとして、 助動詞的用法の形をとることがある。
- vomac otêl a tel e kin teros a tel te lon e korlevìm.
- 私はしばしば夜にビールを飲む。
- vomac teros otêl a tel te lon e korlevìm.
- 私はしばしば夜にビールを飲む。
1 の vomac が助動詞的用法をとったのが 2 であるが、 1 では vomac に余計な otêl という修飾語句が係っている。 そのため、 この otêl が kin 節句内の teros に係っていたものとして、 助動詞的用法の形が作られている。 このとき、 あくまで形式的に otêl が teros に係っていると見なしただけであり、 意味的にも teros に係っていると解釈されるわけではないことに注意せよ。 実際、 otêl は 「ときどき」 の意味で反復の頻度を表す単語であるため、 反復を表している vomac に意味的に係っていると解釈しなければ文意が通らない。
どのような場合で余分な修飾語句が許されるかは研究中です。
#SFG.命令表現
#SFF.構成
命令を表すには、 dit という特殊な単語が用いられる。 dit は常に現在時制継続相通常態動詞の ditat の形で使われ、 e 句に命令内容をとる。 この ditat はほぼ必ず助動詞的用法で使われ、 結果的に ditat の直後に命令内容となる節が続けられる形になるため、 ditat という表現が命令マーカーであると考えることもできる。 助動詞的用法については #SFK を参照せよ。
命令内容として置かれる節に文法的制約は見られず、 あらゆる節が置かれ得る。 ただし、 ほとんどの場合で、 その内容が実際に行われるのは未来であることから未来時制が使われるか、 もしくはすぐに実行しろという意味を込めて現在時制開始相が使われる。 また、 ほとんどの場合で、 命令内容には命令対象として loc もしくは zál が含まれており、 loc が含まれている場合は話している相手への命令となり、 zál が含まれている場合は勧誘の意味になる。 なお、 命令対象を表す名詞が省略されることはない。
- ditat lanis a’c e zîdsax.
- 学校へ行ってください。
- ditat sôdis a zál te tazál e sicoller.
- 明日はラーメンを食べましょう。
未来時制や現在時制開始相が使われなかったり、 loc や zál が含まれていなかったりする命令もあり得る。
- ditat qetit a xál.
- 光あれ。
- ditat sohizes a loc te tazîk.
- 昨日勉強しておけよ。
- ditat catos a vas vo talciq i solol.
- 道路は左側を歩きましょう。
命令内容に否定表現が含まれる場合は、 禁止の意味になる。
- ditat dukûvis a’c ca sokul i tel.
- 私の部屋に入らないでください。
- ditat duderexis.
- 雨よ降るな。
#SFV.縮約形と丁寧度
ditat は縮約形として di’ をもつ。 縮約せずに ditat の形で用いられると丁寧な命令となり、 目上の人や大衆に向けてのお願いをしたり、 どうしてもやってほしいことを丁寧に申し込んだりするときに使われる。 縮約した di’ の形で用いると丁寧度が下がり、 親しい人や目下の人に向けての命令でよく使われる。
- ditat hilokis a’c.
- 起き上がってください。
- di’hilokis a’c.
- 起き上がって。
口語においては、 ditat や di’ すらも省略され、 命令内容となる節がそのまま述べられることがある。 この表現は乱暴な命令として解釈される。 また、 緊急時などで少しでも短く命令内容を言いたいときにも使われる。
- duqetanis a’c!
- 動くな!
なお、 さらに簡素な命令表現として遊離助詞句によるものがある。 この表現の丁寧度はシチュエーションや言い方に依存する。 これについては #SBA で詳しく述べる。
#SFP.反復表現
同じ動作が複数回繰り返されることは、 vom を動詞として用いることで表現される。 vom は常に動詞として使われ、 e 句に反復の内容をとる。 この vom は助動詞的用法で用いられることがほとんどである。
lof や têl や dum などの頻度を表す副詞は、 必ず反復表現とともに用いられる。 これは、 物事の繰り返されていなければその頻度に言及することはできないためだと考えられる。
- vomec lanos olof a tel ca kosxoq .
- 私はよく図書館に行っていた。
習慣も一種の反復なので、 反復表現で表される。 現在でも続いている習慣は表すときは vom が現在時制経過相で使われ、 過去に続いていた習慣を表すときは vom が過去時制経過相で使われる。
- vomac vilisos a tel te pôd atov.
- 私は毎朝走る。
反復表現は動作の一連の繰り返しを表すが、 反復表現が使われていなければ必ず 1 回の動作のみを表す。 すなわち、 反復表現は義務的である。 一部の表現では、 反復表現になっているかなっていないかで大きく意味が変わるので注意せよ。
- vomak lîdos a tel te sot e xoq afik.
- 私は今この本を読み終えた。
- lîdak a tel te sot e xoq afik.
- 私は今この本を読み終えた。
3 は反復の完了を表しているので、 「本を読む」 という行為が何度か繰り返された中の最後の 1 回が今終わったことを表す。 その時点で反復が完了したと言っているのだから、 それ以降その本を読む行為をしないということが暗に示され、 結果的に本を最後まで読み切ったというニュアンスが含まれる。 一方、 4 は単なる完了相であるから、 「本を読む」 という 1 回の行為の完了を表すのみで、 それ以外のニュアンスは含まれない。 特に、 本の一部だけを読んでも 「本を読む」 という行為は成立するため、 後者の文は本を最後まで読み切ったのかどうかを含意しない。