日記 (2023 年 11 月 19 日)

今日からは 『放蕩息子の譬え話』 をちまちま読んでいこうと思います。 テクストは、 『サバの書』 の記載から省略部分を補って綴りを標準化したものです。 文の区切りや句読点の位置などは、 私の解釈によるものです。

今日読むのは、 ルカ 15.11 ~ 15.12 に相当する箇所です。

рєчє господь притъчѫ сиѭ.
рєчєрєщи言う|ア.三単 господьгосподь|単.主 притъчѫпритъча譬え|単.対 сиѭсьこの|女.単.対
主はこの譬えを言った。

冒頭に出てくる рєчє は、 рєщи (рєщ-/рєк-) 「言う」 のアオリスト時制形です。 アオリスト時制は過去に行われた動作を瞬間的に表現するものですが、 現代ロシア語にはこの活用パターンは残っていません。 現代ロシア語では、 古代教会スラブ語で 「結果分詞 (もしくは Л 分詞)」 と呼ばれる分詞の一種に由来する形を用います。 現代ロシア語での過去時制の形は人称変化しないので変な感じがしますが、 もともとが形容詞っぽい働きをする分詞だったと思えば腑に落ちますね。 ちなみに、 ブルガリア語ではこのアオリスト時制の活用が残っていて、 現代でも рече という形がそのまま使われています。

чловѣкъ ѥдинъ имѣ дъва сꙑна.
чловѣкъчловъкъ|男.単 ѥдинъѥдинъある|男.単.主 имѣимѣти持つ|ア.三単 дъвадъва2|男.対 сꙑнасꙑнъ息子|双.対
ある人に 2 人の息子がいた。

所有を表す文ですね。 上の古代教会スラブ語では имѣти という 「持つ」 を表す単語が使われていますが、 現代ロシア語だったら быть という繋辞を使って у человека было два сына と言うのが普通のはずなので、 表現方法が違います。 もともとのギリシャ語では ἔχω を使って ἄνθρωπός τις εἶχεν δύο υἱούς となっているので、 古代教会スラブ語ではそれを直訳したのでしょうか。

また、 数の表現もおもしろいです。 古代教会スラブ語の дъва は形容詞的に働くので、 名詞が意味通りの格を取って дъва はその格に一致します。 一方でロシア語の два は名詞的に働くので、 数えられる名詞は常に生格を取ります。 ここも古代教会スラブ語と現代ロシア語で違いが生じています。

さらに興味深いのが、 古代教会スラブ語には双数が残っている点です。 文末にある сꙑна が、 сꙑнъ 「息子」 の双数対格形です。 ラテン語やギリシャ語では紀元前後の時点で双数が消えていますが、 スラブ語では紀元後 9 世紀まで残っていたわけです。 ちなみに、 もとのギリシャ語でのこの箇所には υἱούς と複数形が使われており、 υἱώ という双数形は使われていません。

и рєчє мьн҄ьи сꙑнъ ѥю отьцꙋ.
ииそして рєчєрєщи言う|ア.三単 мьн҄ьимьн҄ьи年下の|男.単.主 сꙑнъсꙑнъ息子|単.主 ѥюи|男.双.生 отьцꙋотьць|単.与
年下の息子は彼らの父に言った。
отьчє, даждь ми достоинѫѭ чѧсть имѣниꙗ.
отьчєотьць|単.与 даждьдати与える|命.二単 миазъ|与 достоинѫѭдостоинъしかるべき|女.単.対 чѧстьчѧсть部分|単.対 имѣниꙗимѣниѥ財産|単.生
父よ、 私に財産のしかるべき一部を与えてください。

имѣниѥ 「財産」 は、 最初に出てきた имѣти 「持つ」 に名詞化接辞の -ниѥ が付いた形です。

и раздѣли има имѣниѥ.
ииそして раздѣлираздѣлити分ける|ア.三単 имаи|男.双.与 имѣниѥимѣниѥ財産|単.対
彼は彼らに財産を分けた。