日記 (旧 1 年 9 月 10 日, H210)

え? 一時期 4 代になってた? 気のせいだよ、 気のせい。

何かを自分の人工言語に翻訳するとなると、 初めのうちはまだ作ってない単語が出てきて、 そのたびに造語することになりますよね。 で、 この造語なんですが、 どうも神経質になるんですよね。 まあ、 もともと神経質なんですけども。 そんなことは置いておいて、 これはなぜかというと、 この段階で造語してしまっても良いのか、 と考えてしまうからです。 例えば、 基礎語もままならない 800 語程度の人工言語に対し、 「アセトアルデヒド」 なんて単語を作るのは無謀ですよね。

で、 考察はいろいろと続きます。 次に、 その単語が本当に必要か、 です。 例えば、 「呼ぶ」 って単語があるじゃないですか。 「名前を言って気づいてもらう」 の方ではなくて 「相手に頼んで来てもらう」 の意味の方です。 それで、 この 「呼ぶ」 というのを、 「呼ぶ」 という単語を新たに作ってそれをもって表現するか、 「頼んで来させる」 のように既存の単語で表現するか、 を決めるんです。 この考察にもしかしたら一番時間使ってるかも知れません。

まだ続きます。 造語すると決まったとして、 どのように造語するか、 です。 合成語にするか単純語にするか、 合成語なら何と何を合成するか。 例えば、 「駐車場」 という単語について考えてみましょう。 日本語では、 そのまま車を駐める場所ということで合成語ですね。 では、 シャレイア語でも 「車を停める場所」 として合成語にするべきでしょうか? しかし、 この合成方法では 「車」 と 「停める」 と 「場所」 の 3 つの単語から合成することになるので、 「駐車場」 という言葉はそれなりに使うにも関わらず、 長い単語になってしまいます。 そう考えると、 「停める場所」 か 「車の場所」 かどちらかになりますね。 もし前者の 「停める場所」 にしたとすると、 「何を停めるのか」 という情報が失われるので、 ヘリコプターとか電車とかが停まっても良いことになってしまいます。 では後者の 「車の場所」 はどうでしょう。 今度は 「車をどうするのか」 という情報が失われていますが、 何となく駐車場のことを言っているのだと分かりますよね。 そこで、 「車の場所」 と造語することになりました。

と思ったら、 「車」 って単語がないんですよね。 すると、 「駐車場」 を造語するためには、 「車」 に対し、 今までの考察をしなければなりません。

さて、 造語方法を決まったら、 単語の綴りを決定します。 まだ終わりじゃないです。 中心語義の決定をしないといけません。 よく出される例ですが、 日本語の 「水」 は冷たいものを基本的に指しますが、 英語の 「water」 は熱湯も指します。 ですから、 辞書に 「水」 とだけ書いても、 それは熱いお湯も表すのか表さないのか分からないんです。 そこで、 3 代 1 期から、 ほぼ全ての内容語に 「中心語義」 の欄を追加しました。 正直大変だったよーっ!

まだありますよ。 この後は、 類義語の調査です。 例えば、 zelet という語は、 辞書に 「率いる」 や 「統率する」 などの意味が載っていますが、 もともとは 「率いる」 という語を造語していたんです。 ここで、 もし辞書に 「率いる」 という意味しか載せていなかったとしたらどうでしょう。 造語してから何日か後、 「統率する」 という言葉を訳そうとしたときに、 検索にヒットしませんから、 そういう単語がないのかと思ってしまいます。 すると、 もう一度造語することになり、 同じ意味の単語が複数できてしまうという事態が起こり得ます。 というか実際起きた! 3 代で辞書改定したとき、 ほぼ同じ意味で違う単語が 3 つありましたからね。 さすがに 3 つはないだろ、 とか思いましたけどねー。

以上の議論をして、 めでたく新しい単語の誕生です。 まとめると、 〈現段階で造語すべきか〉 → 〈その語は必要か〉 → 〈どう造語するか〉 → 〈中心語義はどうするか〉 → 〈類義語はないか〉 の 5 段階です。 ちなみに、 最初の段階で 「現段階で造語すべきでない」 と判断した場合は、 そういう単語リストに記しておいて、 時期が来たら造語するようにしています。

うわ、 長っ。 長文失礼しました。 そして、 もし最後まで読んでいただいたのなら、 ありがとうございました。