日記 (H2586)

ちょっと思ったことです。

lancákliqon などの移動を表す動詞は、 移動先の地点を ca 句で表し移動前の地点を zi 句で表すのが慣例です。 このときの ca 句や zi 句に、 例えば 「公園」 や 「学校」 のようないかにも場所っぽい名詞は当然置けるわけですが、 「私」 のようなそうでもない名詞も置けることになっています。 というか、 置いた文をいくつか作った記憶があります。

dozat liqonis a tel e litéz ca fay.
私は傘を娘のところに持って行かなければならない。

この例では、 移動先を表す ca 句に 「娘」 を表す fay が置かれています。 日本語では 「娘のところに」 などとする必要がありますが、 シャレイア語だとそのまま ca fay とできるわけです。

ちなみに、 移動を表す動詞の ca 句や zi 句に場所っぽい名詞しか置けないことにすると困ります。 仮に置けなくなったとしましょう。 そうすると、 「近づく」 という意味で移動を表す fêc に係る ca 句にも場所っぽいものしか置けなくなりますが、 そうすると fêc の形容詞用法に係る ica 句にも置けなくなり、 「私の近くの」 などがそのままでは表現できなくなります。 これはちょっと困りますよね。

それに、 移動を表す動詞に係る ca 句や zi 句の意味を、 それぞれ 「~がある場所に向かって」 や 「~がある場所から」 のように 「~がある場所」 というようにすれば、 「私」 などの場所っぽくない名詞も置けるとしても自然です。 そんなわけで、 このような ca 句や zi 句に場所っぽくない名詞を置けるのは別に問題ありません。

なら何なのかというと、 問題なのは vo です。 vo は場所を表す助接詞ですが、 上で述べたようなことを踏まえると、 場所っぽくない名詞も vo の後に置けるような気がしませんか? いや、 置けた方が統一感ありますよね。 例えば、 vo tel で 「私がいるところで」 のような感じです。

何となく不自然な感じがしますが、 置けるようにした方が統一感がありますし、 何より 「場所っぽい名詞」 っていったい何なんだってのもあります。 置けないことにするなら、 何が置けて (つまり場所っぽい) 何が置けない (つまり場所っぽくない) のか決めないといけないんですが、 結構難しい気がします。 とりあえず今は保留にしますが、 場所っぽくない名詞を vo の後に置くことに対して明確な欠点が見つからない限り、 場所っぽくない名詞でも vo の後に置けることにしようと思います。