日記 (2020 年 1 月 25 日)

やっていきます。

καίτοι ἀληθές γε ὡς ἔπος εἰπεῖν οὐδὲν εἰρήκᾱσιν.
そして実際、 言ってみれば、 彼らは真実を何も話していない。
καίτοικαίτοιそして実際 ἀληθέςἀληθής真実の|中.単.対 γε ὡςὡς~のように ἔποςἔπος|単.主 εἰπεῖνλέγω言う|不.能.ア2 οὐδὲνοὐδείς何も~ない|中.単.対 εἰρήκᾱσινλέγω話す|直.能.完1.三複.

καίτοι 「そして実際」。 καί 「そして」 と τοι 「まさしく」 の合成語で、 しばしば γε と呼応して強調を表します。

途中にある ὡς ἔπος εἰπεῖν は 「いわば, 言ってみれば」 の意味の慣用表現です。

μάλιστα δὲ αὐτῶν ἓν ἐθαύμασα τῶν πολλῶν ὧν ἐψεύσαντο, τοῦτο ἐν ἔλεγον ὡς χρῆν μᾶς εὐλαβεῖσθαι μὴ ὑπ' ἐμοῦ ἐξαπατηθῆτε ὡς δεινοῦ ὄντος λέγειν.
とりわけ、 彼らが嘘をついたたくさんの内容の 1 つについて、 私は彼らに驚いた。 そこで彼らは、 話すことに熟練している私に騙されないよう、 あなたたちは気をつけなければならない、 と言っていた。
μάλισταμάλισταとりわけ δὲ αὐτῶν ἓνεἷς1|中.対 ἐθαύμασαθαυμάζω驚く|直.能.ア1.一単 τῶν πολλῶνπολύςたくさんの|中.複.属 ὧν ἐψεύσαντοψεύδω嘘をつく|直.能.ア1.三複, τοῦτοοὗτοςそれ|中.単.対 ἐν ἔλεγον ὡςὡς~ということ χρῆνχρήしなければならない|直.能.未完 μᾶςμεῖςあなたたち|対 εὐλαβεῖσθαιεὐλαβέομαι気をつける|不.中.現 μὴ ὑπ' ἐμοῦἐγώ|属 ἐξαπατηθῆτεἐξαπατάω騙す|接.受.ア1.二複 ὡςὡς~のような δεινοῦδεινός熟練した|男.単.属 ὄντοςεἰμίである|分.能.現.男.単.属 λέγειν.

ἐθαύμασα < θαυμάζω 「驚く」。 この動詞の活用は、 語幹が θαυματ- だと思えばわりと規則的です。 現在時制に現れる ζ は、 この語幹末の τ が古くに y 音の影響を受けて変化したものと分析できます。

θαυμάζω
直.能.現θαυμάζω
直.能.未θαυμάσω
直.能.ア1ἐθαύμασα
直.能.完1τεθαύμακα
直.中.完τεθαύμαμαι
直.受.ア1ἐθαυμάσθην

ἐψεύσαντο < ψεύδω 「嘘をつく」。 英語の pseudo- に残ってますね。

ψεύδω
直.能.現ψεύδω
直.能.未ψεύσω
直.能.ア1ἔψευσα
直.中.完ἔψευσμαι
直.受.ア1ἐψεύσθην

χρῆν < χρή 「しなければならない」。 非人称動詞なので、 人称や数による活用はありません。 また、 その活用形は χρήεἰμί の活用形に結合させることで得られます [L:§120]。

χρή
直.能.現χρή
直.能.未完χρῆν < χρὴ ἦν
直.中.未χρῆσται < χρὴ ἔσται
接.能.現χρῇ < χρὴ ᾖ
希.能.現χρεῖη < χρὴ εἴη
不.能.現χρῆναι < χρὴ εἶναι

特に後半の節の解釈が難しかったので、 ここで文構造を明白にしてきます。 τοῦτο は前の節の ἓν を受けています。 続く ἐν τοῦτο に係る関係代名詞節を構成しており、 これ以降の部分は、 とりわけ驚いたことの中でどうあったのか (何が言われたのか) が説明されています。

μὴ は否定辞ですが、 接続法の動詞とともに用いられて、 これだけで 「~しないように」 という否定の意図や否定の目的を表す従属節を作ります [L:§307]。 ここでは、 μὴ ὑπ' ἐμοῦ ἐξαπατηθῆτε で 「私に騙されないように」 です。

この後の ὡς ですが、 ここでは 「~のように」 のような仕方や比較を表していると解釈できます。 ὡς は分詞とともに用いることができ、 このときの分詞の性数格は、 仕方を表している対象の名詞に一致されます [L:§341]。 今回は、 ὡς の後ろにある分詞 ὄντος は男性単数属格形なので、 ὡς 以下は ἐμοῦ に係っていると解釈できます。 ὄντος の補語は直前にある δεινοῦ です。 この単語は何に熟練しているかを不定法で受けますが、 文末に λέγειν があるので、 「話すことに熟練している」 の意味になっていると分かります。 語順が飛び飛びですが、 古典語だしまあよくあるよね。