日記 (H2594)

結果目的語を表す qe と動作中や動作後の状態を表す se の使い分けについてです。 それぞれの助接詞が導入された経緯については、 H1311H2347 を参照してください。

事の発端は、 「彼は息子を立派な大人に育て上げた」 という文を翻訳しようとしたときでした。 「息子を」 を e 句で表すのは良いんですが、 「立派な大人に」 は qe 句でしょうか se 句でしょうか? 育て上げた結果で立派な大人ができるわけなので、 結果目的語と考えて qe 句で表すこともできそうですし、 育て上げた後に息子が立派な大人になったわけなので、 動作後の状態だと考えて se 句でも良さそうです。 そんなわけで使い分けがよく分からなくなったので、 ちょっと整理しましょう。

まず、 そもそも se 句に名詞を置けるのかという問題があります。 これまで se が使えると思っていた表現では、 se 句には形容詞を置いていました。 ただ、 H2347 では 「形容詞しか置けない」 などの制限は設けていない上に、 今は意味の違いを考えたいので、 とりあえず se 句に名詞は置けるものとして話を進めます。

まず、 H1311 でも議論されている 「穴を掘る」 という表現を考えましょう。 これは qe を使って表現できるわけですが、 その理由は、 この表現が 「地面を掘った結果として新たに穴が作られる」 と言い換えられるからです。 では se は使えるかを考えてみると、 この表現は 「地面を掘ってその地面を穴にする」 という意味ではないので、 動作後の何らかの句 (だいたいの場合で目的語) の変化ではなく、 se は使えなさそうです。 ということで、 「穴を掘る」 の 「穴を」 については、 qe 句で表現するのが正しく、 se 句は誤りとなります。

次に、 「お湯を沸かす」 を考えてみます。 これはほぼ明らかに qe は使えるでしょう。 問題は se の方ですが、 今回の場合、 沸かす前の水がお湯 (シャレイア語的には温かい水) に変わったとも考えられるので、 se でも良さそうです。 したがって、 「お湯を沸かす」 については、 qe でも se でも表現できそうです。

では、 最初に問題にした 「立派な大人に育てる」 を考えましょう。 qe を使うと、 「息子を育てることで立派な大人を作る」 の意味になりますが、 この場合はあまり 「作る」 という感じではない気がします。 一方で se を使うと、 「息子を育ててその息子が立派な大人になる」 の意味になり、 こちらはかなり自然です。 そう考えると、 「立派な大人に育てる」 については、 qe 句では少し不自然で se 句が自然ということになります。

別の視点として、 qese を使わない言い換えを考えてみましょう。 qe については、 H1311 ですでに言及されていて、 Sos qi Zqikos e Z qi S と同じ意味ということになっています。 つまり、 以下の 2 つの文は同じ意味です。

debêkes a ces qe denos.
彼は穴を掘った。
qikes a ces e denos qi debêk.
彼は掘ることで穴を作った。

では se の言い換えはどうなるかと言うと、 se が動作後の状態を表している場合なら、 Sos se ZSoz o nisos ca Z と言い換えられそうです。 具体例を挙げると、 以下の 2 つの文が同じ意味ということになります。

temedes a ces e taqit se azaf.
彼は壁を赤く塗った。
temeses a ces e taqit, lo nisez a's li cit ca azaf.
彼は壁を塗り、 それを赤くした。

つまり、 qe の方は qik を使って言い換えられるので、 「新たに作られる」 というニュアンスが出ることになります。 一方で、 se の方は nis を使って言い換えられるので、 「別の状態から変化する」 というニュアンスが出ます。 すでに議論したように、 「お湯を沸かす」 については qese も使えそうなので、 例として以下の 2 つの文 (どちらも自然) を考えてみましょう。

zacfodes a tel qe rix azag.
私はお湯を沸かした。
zacfodes a tel e rix se azag.
私はお湯を沸かした。

上の文は qe を使っているので 「お湯を新たに作った」 というニュアンスがあり、 下の文は se を使っているので 「もともとあった水をお湯に変えた」 というニュアンスがあります。

さらに、 se についていくつか気づいたことがあります。 まず、 se Z と言ったときに、 「同じ文中の何らかの語句が Z になった」 という意味になるわけなので、 Z になったものが文中に含まれている必要がありそうです。 もともと se は英語の SVOC 文型の C に当たるようなものとして作ったので、 対応する O が必要だと思うのは自然です。

また、 se の言い換えは nis で行うので、 se 句に Z が置かれていて、 Z になったものが T だとすると、 nisos a T ca Z が自然な表現になる必要があります。 これはつまり、 salot a T e Z が自然かどうかと同値です。 したがって、 Z が形容詞なら大丈夫ですが、 Z が名詞の場合は TZ が全くの別物だとダメということになります。 「立派な大人に育てる」 の例では、 salot a qasot e kez が可能なので大丈夫です。

以上が、 qese の使い分けについて考えたことです。 最近は非文集を作っているので、 この話も載せておきましょう。

日記 (H2598)

se の言い換えは nis で行うわけですが、 この nis の語法がちょっと微妙になっています。 これについては H2598 で議論しています。